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オールバニ()は、アメリカ合衆国オレゴン州西部でベントン郡とリン郡の両郡に属する市。ウィラメット渓谷の内部に位置する市であり、リン郡の郡庁所在地である。2000年の国勢調査の時点における市の人口は40,852人であった。2007年現在、オレゴン州で第11位の人口規模を有する市である〔Oregon Blue Book 〕。2008年現在における推定人口は48,770人である〔PSU:Population Research Center 〕。 == 歴史 == オールバニ市はカラプーイア川とウィラメット川の合流地点に位置する。19世紀までこの地ではペヌーティアン語の話者、カラプヤ族が生活を営んでいた。カラプヤ族はウィラメット渓谷中部に多く住む先住民族であった。 カラプヤ族の間では、オールバニの地をタケナー(''Takenah'')と呼んでいた。タケナーとは彼らの言葉で「カラプーイア川とウィラメット川が合流する場所にある深い場所」を示す単語に由来しており、おどけた感じで訳すならば「大地の穴」(''hole in the ground'')となる。この名称はカラプーイア川の合流地点周辺を指して用いられていた可能性がある、というのも合流地点では土手に近い場所で川の流れが地面に穴を開けている場所があったからである〔 〕。名称にはバリエーションがあり、テケナー(''Tekenah'')と表記されることもある。 現在のオールバニ市域内に、最初にヨーロッパ人が移り住んできたのは1846年のことであった〔。この地に住む名家のウォルター&トーマス・モンティース兄弟により、1848年にオールバニの町が成立。モンティース兄弟は、不法居住者のハイラム・スミードから400米ドルで土地権と馬一頭を購入し、新しい街の建設用地に充てた。オールバニの名称は、モンティース兄弟の出身地であるニューヨーク州オールバニから取られた。 モンティース家は1849年、オールバニで初となる木造家屋を建てた〔。このモンティース邸は完成当時、オレゴン州で最も優れた邸宅と言われた〔。モンティース家は同年、邸宅の応接間を雑貨屋として開放した〔〔。最初の学校は1851年に立てられ、1852年には最初の蒸気船が到着、製粉工場も建てられた〔。 1849年、タケナーの町がオールバニ近郊に設立された。1852年にはオレゴン準州議会がタケナーの名称を両町に適用した〔。オールバニの名称が準州議会により復活を遂げたのは1855年のことであった〔。 オールバニ郵便局が1850年1月8日に設立され、1850年11月4日には「ニューオールバニ」に改称された〔。1853年には再びオールバニの名称に戻った〔。 オールバニは1852年に郡庁所在地の座を、スイートホーム近郊の集落カラプーイアから奪ったが〔Corning, Howard M. ''Dictionary of Oregon History''. Binfords & Mort Publishing, 1956.〕、オールバニは1864年になって初めて市として法人化された。 マウンテン・ステーツ・パワー・カンパニーは1918年に創業以来、ずっとオールバニに本社を置いていた。同社は1954年、パシフィック・パワー・アンド・ライト社(現:パシフィコープ社)に吸収され、その歴史に幕を閉じた。 1970年代に入ると、オールバニは市域拡大計画を立ち上げ、ワー・チャン・コーポレーションのジルコニウム処理工場の囲い込みを図った。ワー・チャン社は1974年、それに対抗して投票の後押しを行い、同社の望みの土地をミラーズバーグ市として法人化した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オールバニ (オレゴン州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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